大島、中島、川中島、小島新田など川・・・に関する記事
質問
大島、中島、川中島、小島新田など川崎区には「島」の付く地名が多いですが、多摩川と鶴見川が下流で合流したできた中州が川崎区なんですか?川崎大師平間寺創建の頃(平安時代後期)には中州は治水工事しなくても安定していた(氾濫することが無かった)のですか?それとも治水土木工事のために真言宗を呼び寄せたのですか?中州だから肥沃な農業に適した土地だったのですか?川崎区一帯が川崎大師平間寺を本所とする、多摩川や鶴見川の水を利用した水田だったのですか?
回答
いつの時代を、どのように説明していいのか分かりませんが、川崎の歴史は、Wikipediaに簡潔に書いてあります。抜粋させていただくと、>7世紀に律令体制の整備により武蔵国の一部となり、>奈良時代には現在の高津区に橘樹郡衙が置かれ、>地域行政の中心になったと推定される。>平安時代からは荘園が発達し、稲毛氏が広い地域を支配した。>稲毛三郎重成は源頼朝の御家人の1人となって活躍した。また1128年(大治3年)には川崎大師(平間寺)が建立され、>門前町の形成が始まる。その後鎌倉時代から戦国時代にかけては>小規模領主による分治が進み、やがて北条氏の支配下に入った。多摩川はたびたび氾濫があったようで、日枝神社などの古文書には、氾濫によって川筋が変わったことによる領地争いの文書が残っているようです。川崎大師は呼び寄せた・・とかではなく、臨海部に「夜光」という地名がありますが、ある武士が、このあたりの海に夜光るものがあったのでそれを拾い上げてみると仏様だった、それを祀り、そこに立ち寄った高僧と共に寺を建立したところからが川崎大師の始まりなので、特に治水とは何の関係もないと思います。また川崎区は農業地帯ではなく、近世はどちらかというと遠浅の海に恵まれた漁村といった地域だったようですよ。海苔や貝などが名産でした。農作物は、主に果物など。肥沃な土地ではないし、水もあまりよくなかったようで、農業に向く土地ではなかったようですよ。ちなみに「長十郎梨」は川崎区が原産地です。川崎区に農地はほとんどなくなりましたが、北部の方には畑がたくさん残っています。>大島、中島、川中島、小島新田このあたりは、その昔は大師河原と呼ばれている地域ですね。なぜ島が付くのか、今度調べておきます。
出典:Yahoo!知恵袋
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